一回りして、犬派。
つい昨年くらいまでは猫派で、その気ままで奔放な性格を可愛らしく思ったりもしたのだが、たぶん、そう、これからは犬派に転じようと思う。その忠誠心故の愛らしさというか、何かあったときに裏切らないだろうその性質、これこそが私の今後の人生に必要な要素となってくるであろうことをしみじみと感じている。
馬とホーメイ。
たしか去年の今頃、仕事でアメリカに行った時、馬を撮影するミッションがあった。アメリカの広大な牧草地のなかで、通常、馬は敷地の中心の遠くの方で草を食んでいた。しかし、やはりそれでは絵的にどうか、ということで、馬をカメラカメラマンの近くに寄せる必要があった。とは言ってもどうすれば良いものかと。
ふと、以前聞いたことを思い出した。モンゴルでは人間が動物を統率するためにホーメイ(喉笛)を用いることを。幸運にも大学のスタジオの助手だった山川冬樹という日本屈指のホーメイ歌手から基本のスグット(高い音がするホーメイの発声の特徴な手法)の基礎は学んでいた。馬達がいる方へ向かって半信半疑で喉を鳴らせてみた。するとどうだろう、500メートル以上離れた場所から彼らがこちらへやってくる。それも一頭ではなく、塊で。私と彼らが音という共通言語で繋がった瞬間だった。間近で見る馬は、アメリカの馬は、逞しい筋肉で覆われ、ツヤツヤした毛並みで覆われ、
自分がサルから進化した動物であることが恥ずかしくなるような、美しい肉体だった。
黄色いマシンに、憧れて。
年少の頃、無性にパワーショベルやダンプカーなど工事現場で働くマシンに憧れた記憶がある。その気持ちを散歩の途中に空き地で休んでいるパワーショベルを見て思い出した。しかしなぜそう思ったのか疑問にも思った。工事現場で働くマシンたちの、20数年前と現在とで”かっこいい”という要因となる要素の共通点はなんであるだろうかと思い出してみたら、案外単純に、今も昔ももしかして”黄色”くないですか、という結論に達した。そしてパワーショベルは何故黄色なのかと調べてみると、「黄色は自然界で一番目立つ色です」という自然科学的根拠があって、注意を促すためにこの色らしい。そうすると答えは導かれる。年少の頃は人間の一生の中できわめて自然に近い存在だった。その自然のなかで一番イケてる色はパワーショベル。そして、しかもでかいし、その屈強な腕を思わせる構造とダイナミックな動きだし。だから彼らパワーショベルなどの工事現場の黄色いマシンたちは、そのころの私にとって、本能的に畏怖し憧れる対象であった。でも、今でも彼ら見とれるということはまだ自然から受け継いだ本能がどっかにのこってるのか。
俺のル・クルーゼが火を噴くぜ。

ついにこの日が来た。私が「一人暮らし自炊系男子」の新たな扉を開く日が。あの「鍋炊き男子宣言」から早2週間。鍋は買ったものの計量カップとキッチンタイマーを買い忘れるという失態を犯してしまい、こんなにも時間が経ってしまった。が、それら必要不可欠なアイテム達が土曜にアマゾン社から届いた。
私ははやる気持ちを抑えながら、差し当たり10分にキッチンタイマーをセットしコンロに火をつけた。タイマーの鳴き声で火を止め、蒸らすこと15分ほど、いままでに無いほど粒立ちの良い米が鍋の下に群がっていた。一口食してみると、ん、ちょっと、固かった。どうやら水が少々足りなかったらしい。しかし香ばしい香りと噛めば噛むほど味が出るような食感は、昔キャンプで飯ごうで炊いた御飯みたいで食欲をそそった。まぁ初めてにしたら及第点だろうか。次はもう少々見ず多めでいってみようと思う。私の鍋炊き男子道は始まったばかりだ。
桜と坂道と風呂と枝。
朝、急ぎ足で通勤路を歩いていたけど、小学校裏庭の桜並木が見える坂の上に通りかかり、綿飴のように枝に絡み付く桜色の花びらの固まりと、それらが道路の表面に作り出す影の美しさに見とれた。たぶん余裕があってこの光景を見たら、また違った行動にでただろう。風呂に入っている時、すぐ上がらなければ見たいテレビを見逃してしまうとか、そんな時に限って湯加減がちょうど良く感じられる。それによく似ている。買い物をしていたら店先に桜が生けてあった。他の場所ではもう葉桜に向かっている個体も多いのに、この生けられた桜はその風雅ないでたちを保っていた。むしろ、その最も魅力的と思われる花が付いた枝の部分だけを見せることで、木の幹の上の桜よりもかわいらしく見えたように思われた。
休日の雨の噂、とその逆。
桜が絶頂期を向かえた後、休みの日は雨になるという法則が発動しだした。平日は都市の営みが出す過剰な炭酸ガスが上昇気流を生み、空に雲が溜まらず雨にはならない。休日に炭酸ガスの発生が急激に減り、雲が溜まり雨になるという噂を聞いたことがある。ならば、平日を休日にして休日を平日にすれば良いのに。そうすればさすがに休日のうち2日くらいはたぶん晴れるし、温暖化にもならないで島も浜も沈まずに、南極の氷も溶けないで、アマゾンのポロロッカも起こらず、エルニーニョもカトリーナも消えて、美味しそうな絶滅寸前の珍魚もいなくなんないで済むんじゃないか、そうすれば私も合コンなどに勇んで参加していけるのではないか、という逆転の発想に我ながら関心。
たぶん一億円、ひろった。
それは、雨の桜も乙ですな。なんて具合に目黒川を歩いていた時のこと。ドンブラこっことゼロハリバートンのアタッシュケースが上流から流れてきて、けどみんな桜をみていて、そんなの気づいていないみたいで、こっそり川辺に降りて拾い上げ、試しにバールのようなものでこじ開けてみたら、中から1万枚の諭吉さんがこんにちは・・・なんていつか言うかもしれない。






